祖母が倒れて、変わったこと

 

随分以前のことだが、
祖母が自宅で用事をしていて転倒し、
救急車で運ばれた。

 

その日から祖母は、元気で活発にゲートボールを

していたのに身体を自由に、
動かすことができなくなった。

 

もちろん前向きな祖母は、

わたしたちも手伝うリハビリを、
いやがらず、懸命に行なって、
徐々に身体が動くようになって行った。

 

でも時折、元には戻らない身体を、
もどかしそうにしている彼女を見て、
私の人生観が、
随分変わったと思う。

 

呼吸がスムーズにできる。

食べ物を飲み込むことができる。

自分の足で立って歩くことができる。

体のどこにも痛みがない。

 

こういうことは当たり前のこととして、
そのときまで、あまり意識したことが、
なかった。

 

しかし、実は心からの指令が、

脳を伝わって身体の神経の隅々まで

ちゃんと届き、身体全体が一つの
システムとして動く、

素晴らしい現象であることに気付かされた。

 

このことがあってから、
私の物の見方が、
変わって来たように思う。

 

例えば、
仕事が計画した通りに、
うまくいかず、
いらいらし、
また悩んでもいるときに、
ふと自分が呼吸していることを感じて、

 

「私は、思い切り空気を吸い、
自由に動くことができている」と、
実感することがあった。

 

この電車に乗り遅れたら、
「大事な人との約束の時間に遅刻してしまう!」と、
あせりながら、必死で走っているときに、
ふと、
「なんだか前より走るのが楽になったなあ」とか、
思ったりするようになったのである。

 

祖母が自宅で倒れたことは、
100歳を目前にして残念で悲しいことだったが、
目の見えない79歳の父は、自分の仕事を休んで

76歳の母と献身的に、病院へ通い、
祖母の世話をし、

 

私たち夫婦は、遠方なので

なかなか会いに行けず、

だけどたえず連絡を取りながら

気持ちは一致して、
祖母を応援していた。


彼女が幸せを取り戻す過程で、
わたしたちもさらに「幸せ」を、
実感するようになった。

祖母はもうすでに、
亡くなってしまったが、


「ありがたい、ありがたい」
と口ぐせのように、頭を下げていた祖母を、
思い出すたびに、
「わたしたちの方こそ、
もっと大きな幸せをいただきありがとう」と、
祖母にお礼を言っている。